目から鱗・《左足1軸+左肩先・先行回転打法》へいらっしゃい!!**を楽しみませんか!!

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Singapore;Gardens by the Bay、 5am〜2am、休み無し
植物園で楽しめますよ

Italy;Pompeii、イタリア・ポンペイ遺跡とヴェスヴィオ火山(正面の山)
・ナポリ湾に臨むカンパニューラ地方の古代都市

ヒヨドリの生育記録などが見れます
[甲状腺機能低下症など]
[葦を使った浮作り]
[木工作品集]
[我が家の果樹・花木・花]
[路傍の花々]
[種類別・季節別・五十音順索引・植物用語説明]

さあ!旅に出よ〜♪

旅はほんとに良いですね!
近時は、皆裕福になったのか、国の内外を問わず色んなところへ出かけられます。一昔前には、海外旅行は高嶺の花でした。出かけるのは良いのですが、国の場所や首都の名前が全く頓珍漢な人がいたりして・・・
年を取ってからは、体が無理を聞かなくなり限度がありますから、海外旅行だとなるだけ70歳までに出かけるようにしましょう。
年を取ってからは近場の温泉などが体にも優しいし良いですね。
ここ5年間位で出かけたところを紹介したいと思います。陳腐と思う方は見ないで下さい。


この世界時計はサマータイムです。
ヨーロッパ・アメリカなど冬時間を採用しているところは1時間遅らせてください。
旅のときは現地時間を常に確認しましょう!
私は初めてアメリカに行ったとき、本土でも東西で3時間時差があり、腕時計の修正を忘れ失敗しました。


アメリカ合衆国アメリカ

アメリカへは古より、支倉常長は言うに及ばず、多くの日本人が移民したり、勉学、仕事や遊びなどで訪れていて、素晴らしい記録があります。それには遠く及びませんが、私も、たまたま、本土へは5回行く機会があり、その一部を紹介します。特段のことはありません。古く行った(35日間遊び歩いたり)時の写真はフィルムなので省略します。

アメリカ・フィシャーマンズワース サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ。美味しい海の幸がいただけます。

アメリカ・アルカトラズ アルカトラズ監獄の牢屋。今は観光施設。

アメリカ・アルカトラズ・カポネ
かの有名なギャングAL CAPONEが囚人番号85号として収監されていたB-206号室。
彼は強度の梅毒に犯され、民間人で始めてペニシリンを投与されたが、病気が進行しすぎて効かなかった。
1932年8月22日アルカトラズへ。1939年11月16日釈放。1947年1月25日死亡。

アメリカ・ケーブルカー サンフランシスコのケーブルカーの終点駅で運転手が人力で方向転換中。

ハリウッド ハリウッド・ウオーク・オブ・フェーム。Poul Newmanと奥さんのJoanne Woodwardの記念手足型で、奥さんは最初に認定された人物。

ユニバーサルスタジオ ユバーサルスタジオで。

ラスベガス・ルクソール ラスベガスの数あるホテルの中で外観が面白いLUXOR。
当然全てのホテルが博打場。

ラスベガス・噴水 左はBellagio。右はCaesars Palace。噴水のある池は、Lake Bellagio 。

グランドキャニオン 冬のグランドキャニオン。

ホワイトサンド ニューメキシコ州ホワイトサンズ(White Sands)。この近くに宇宙船の着陸予備基地があります。エルパソからUSHwy70をひたすら走って(途中50km以上の直線道路と不正侵入者監視のため検問所が有り、パスポートの提示を求められます。逃げ道なし。何故なら、道路両サイドは米軍基地HOLLOMAN AFBで高いフェンスで囲まれているから。)そこを無事通過すると、White Sands Visitor Centerがあり、楽しめます。その先にALAMOGORDOという町がありNew Mexico Museum of Space Historyがありたのしめます。少し足を伸ばすとLincoln National Forestがあります。

ホワイトサンドのトカゲ ホワイトサンドのトカゲ。他にも砂漠特有の動植物がたくさん見れます。花は綺麗。

エルパソ・酒場 テキサス州エルパソにある西部劇時代ギャングが裁判を受けた酒場。前の木で吊るされたそうです。
エルパソは、リオグランデ川を挟んでメキシコ・シウダードファレスと接してます。
対面の町・シウダードファレスは、ギャングと麻薬で有名な危険地帯。若い頃一度行き立派なソンブレロを買った記憶があります。
尚、エルパソは全国でも5番目くらい安全な町といわれているそうです。他の都市では危険を感じたことがなんどもあります。

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ハワイ-Tアメリカハワイ(州旗)

ハワイには、独人時代を含め3回ですが、前2回はデジカメのない時代だったので、オアフ島だけの写真になります。

ハワイ ハワイといえば、やはりワイキキの浜辺ですかね。まずは、ゆっくり寝そべって海と戯れましょう。

ハワイ では早速、オアフ島1周へ。そこそこの人数だと、ベンツの真っ白なリムジンを貸しきりましょう。運転手つきで250ドル+チップ(現在は若干値上がりしてるかも)。運転手は勿論日系アメリカ人で日本語が話せます。

ハワイ ダイアモンドヘッドの近くの別荘地。別荘地の中でも一番高く日本の芸能人も持ってます。信用がないと売ってくれない地域。昔、石原裕次郎とか。

ハワイ ダイアモンドヘッド直下の、サーフィンにもってこいの浜辺。泳ぎに自信のある方はどうぞ。

ハワイ オアフ島を左回りに回ると、上の写真の別荘地を過ぎるとこの様な波の大きな絶壁にいけます。迫力ありますよ。

ハワイ ワイキキのほぼ反対側でジュラシックパークの撮影現場。米軍管轄地で一般は入れません。マウイ島の70%以上が米軍基地ですがね。
ワイキキから一番遠い場所なので、この付近は財力の厳しい方が主に住まわれています。

ハワイ ジュラシックパークの撮影場所から少し行ったら、殆ど人のいないこの様な美しい海岸があります。波は低くないです。要注意。

ハワイ ♪このー木・何の木・気になる木ー♪は、ここです。

ハワイは、多くの島々で出来ていますから、出来れば1週間くらい段取りし、色々行かれるのがいいですね。ワイキキだけではありません。


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台湾台湾

台湾・中華民国は、極めて日本と親密な国です。一時期、日本が統治したこともありますが、統治時代、教育、都市計画・都市施設整備、医療など全般にわたり真面目に取り組んだこともあり親日的でした。
一方、中国本土の観光客が大勢来ていましたが、言語・礼節など余りにも態度が横柄かつ礼を失した態度が多くあり、台湾の方々は気を害しておられました。実際、故宮博物館や台北101でも目に余る光景を多数目撃しました。自覚していなければどうしようも無いですが。

台湾 台湾

台北101。高さ509.2m、地上101階、地下5階。2004年に世界一の超高層建築物として竣工。全面ガラス張りで、輪郭は、写真のとおり、伝統的宝塔と竹の節がイメージされています。
エレベーターは東芝エレベーター製(設置時世界最速、毎分1,010m=時速60.6km)。
写真のような巨大なチェーンドマスダンパーTMDが設置され、耐震対策、風などによる共振対策が施されています。

台湾 保安宮隣聖苑入り口

台湾 国定史跡保安宮。主神は、医療の神・保生大帝。台北の三大廟門。

台湾 孔子廟

台湾 中正紀念公園

台湾 中正紀念堂。蒋介石総統を祭っています。

台湾 台湾

台湾 上左:忠烈祠正門。軍人の慰霊を祭っています。
上右:衛兵(軍人)の交代式。4種の制服がありました。衛兵は、幹部候補生より選ばれています。
左:祠の最奥

台湾 士林夜市の賑わい。是非一度食べてください。美味しいしボリュームいっぱい。

台湾 士林夜市の果物スイーツ店。ここも良いですね。

台湾 九分(正式には人偏に分)):台北北部基隆市郊外の山間の町。
日本統治時代の面影を色濃く残しています。
二・二十八事件を正面から取り上げた「非情城市」のロケ地として有名。又「千と千尋の神隠し」の舞台として日本人に人気があります。

台湾 新北投温泉。近くに淡水という海に面した保養地があります。

台湾 サトウキビのジュース。目の前で絞ってくれます。美味しかった。

台湾 京劇の主役二人。曲芸、手品、演劇ありで楽しいですよ。

台湾 228公園。日本統治時代に造られた公園で前身は台北新公園。台北駅から徒歩7分くらい。1908年完成で国立台湾博物館などもあります。

今回は3泊でしたので台北とその近郊のごく一部しか見れませんでした。台湾全体を観光したければ、改めて最低1週間は必要かな。


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フィリピンフィリピン

フィリピンは、昔から日本とは馴染みの深い国です。
スペインなどの植民地になる前から交流がされていたことは、ご存知のとおりです。
江戸時代、日本からの国外追放先の一つでもありましたよね。
日本と同じく海洋国家ですが、ルソン島・ビサヤ諸島・ミンダナオ島などを中心に、大小合わせて7107の島々から構成されています。
周りに、フィリピン海・ルソン海・スールー海・セレベス海・南シナ海があり、海を挟んだ隣国との歴史は古く、現在は中国との関係がシビアですね。
毎年のように、台風で被害をこうむるなど、自然との付き合いも厳しいですね。
国内的にも、反政府勢力があり、旅行には行き先を良く考える必要がありますし、、併せて犯罪も多いので注意が必要です。
私が言った、セブ島は比較的に安全とは言いますが、実情は厳しいです。夜間の外出は避けるべきです。
ホテルへ車で外出から帰るとき、武器・爆発物のチェックのため、二重の検問所がありました。
ボディーチェックと、徹底した目視や鏡と、磁気探知機での車両の検査。
検査員は、当然実弾入り自動小銃や拳銃を携帯していて、人数は10名を超えました。
聞いたところでは、日系の会社では、危機管理のため、反政府勢力・ゲリラの身内を雇用しているとのことでした。
中国人特に韓国人の評判が悪かったです。何故なら、フィリピン人を下僕、下等民族のように扱うから。
その点、日本人は、戦争で人的・物的甚大な被害を与えましたが、評価は高いです。

フィリピン セブ島のホテルに面したリプライベートビーチです。極めて綺麗。

フィリピン 砂浜に打ち上げられたクラゲ。
毒々しいけど綺麗。大きさも大きい。

フィリピン 東南アジアでは何処でも見かけるサイドカーと同じ要領で客室をセットしたバイクタクシー。

フィリピン 満員の乗り合いバス。
この様な小型のカラフルなバスが一杯走ってます。

フィリピン 食べ物は豊富で、海の幸貝料理の一つ。美味しいです。

フィリピン バナナ皮を皿の上に敷きその上に料理を乗せるのが普通。
衛生的でもあるし見栄えも良いです。

フィリピン 私が食べた椰子の実。
むかし、20代の時マレーシア・クアラルンプールで汁を飲み・中の白いゼリー状のものを食べて以来。

フィリピン 帰路の飛行機から写した夕日に染まる霊峰富士。


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カンボジアカンボジア

カンボジアは、ポルポト政権、クメール・ルージュによる大虐殺の過去を乗り越え頑張っています。
当時の負の遺産がまだ残っていますが、それを乗り越える一助となるよう、皆さんカンボジアを訪問しましょう。
又、日本人が失いつつある信仰心に触れることが出来ると思います。良い国です。
アンコールワットは、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドウー教寺院として30年を超える歳月で建設されました。
1431年頃にアンコールが放棄されプノンペンに王都が還ると、一時忘れ去られ、再発見後、アンチェン1世により1546年から1564年の間に、未完だった第一回廊北面とその付近に彫刻が施さました。
孫のソター王が仏教寺院へ改修。その後内戦などをへて現在があります。
カンボジア国旗の中心にアンコールワットの祠堂がデザインされています。

カンボジア Siem Reap Internationl Air Port。
小ぶりですがカンボジアらしい色合いを出したAngkor直近の国際空港です。

カンボジア Angkor Thom の入り口。素晴らしい仏像が迎えてくれます。

カンボジア 壁画群のひとつ。
案内の方は、日本人専門で日本語はペラペラ。日本にきたことが無く、カンボジア在住の日本人に教えてもらったとのこと。カンボジアでは、通訳は国家試験合格者のみ。従って、それを表す制服を着用。好青年でした。3日間のおつき合いをお願いしました。
通訳は、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語などと専門化しています。中国人と韓国人は周りに気を配ることなくうるさい。

カンボジア アンコールトムの壁画群のひとつで、全て仏教からの教えを彫刻しています。
猿蟹合戦や一寸法師などもあり皆愕然。仏教への無知を痛感しました。 

カンボジア 壁画群のひとつ。

カンボジア 建築物・彫刻の規模の壮大さに圧倒されます。アンコールトムは、像の広場などもありアンコールワットの7〜8倍近い規模。
アンコールでは、案内人が先導する道を歩きましょう。下手に好奇心を出して、観光客が行かない脇道に逸れるとコブラに噛まれる恐れがあります。コブラは3種類。黄色のコブラが最も危険。

カンボジア 地ビールAngkor味は普通。

カンボジア 皆さんご存知の、Angkor Wat。
アンコールはサンスクリッド語で王都、ワットはクメール語で寺院の意味。クメール建築の傑作。
皆同じ場所で写真撮影。横並びでわんさと居ます。

カンボジア アンコールワットの中心の塔の回廊に彫られた仏教の題材からとった彫刻。

カンボジア 内部の回廊などに掘られた彫刻。

カンボジア シバ神。

カンボジア アンコールの他の寺院で熱帯性樹木の根で破壊されているのが良く分かります。早急な保存対策が必要です。

カンボジア ポルポト軍戦車の通過跡。弾丸の跡も多くありました。

カンボジア 宗教戦争特にポルポト(共産政権)がアンコールに防衛陣地を設置し多くの大仏様が首を切られました。
破壊した仏像は、砕いて道路の材料にした。

カンボジア 民族舞踊の踊り子。
知識人などが虐殺され、その中に多くの舞踏家が含まれていたため、民族舞踊の復活に必死とのことでした。

カンボジア シェムリアップ湖の日本の援助で造られた、水上式の小学校運動場。日の丸が掲揚されています。嬉しく思いました。

カンボジア シャエムリアップ湖は、雨季、前面に見える緑は水没するため、相当の床上げの民家。この写真は特別のものではなく、相当多くの家がこのレベルで有りました。貧富の差は激しい。 この形の家に住む人は、ベトナム系が多いとのこと。ベトナム系は少数民族のため冷遇。

カンボジア バイク用ガソリン販売。売り手も買い手も不如意のためビン売り。

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チェコチェコ

東欧3カ国・チェコ・オーストリア・ハンガリーを8日間訪問したときの写真です。ヨーロッパは、地震が極めて少ないこともあり、世界文化遺産だらけで多くの写真が有りますが極一部、雰囲気が分かるものを紹介します。
各家並みの色彩は、落ち着いた感じに見事に統一されています。何処の国、町、村に行っても絵になります。落ち着きます。

チェコ・世界文化遺産メルニック城内小学生の遠足記念撮影 世界文化遺産メルニック城を見に行ったときの、小学生の遠足記念撮影に出くわし撮ったものです。皆楽しそうで仲良く見えました。服装は自由らしく、カラフル。東洋人を珍しそうに見てました。

チェコ・プラハ城より市内を見る プラハ城からの市内遠望。

チェコ・プラハ・チンチン電車 プラハ市内のチンチン電車。主要な交通機関の一つです。

カレル橋からプラハ城を見る カレル橋からからプラハ城を見たところ。川の名は、Vltava(ヴルタヴァ)。
カレル橋は、神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1402年に完成。橋長:515.7メートル、幅員:9.5メートル。15のアーチの上に、砂岩の切石の橋桁が渡されている。橋の欄干には15対ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる。その多くはバロック様式。見事な芸術性の高い橋でした。城と旧市街を結ぶ重要な橋。

チェコ・プラハの春でソ連軍戦車に蹂躙された広場 左は、プラハの春の広場
カレル橋を渡り旧市街に入ると道は狭いですが、宝石店街、屋外喫茶店、土産物店など多種の商店があります。そこから、プラハの春の広場に行く途中に人気の露天マーケットがあり、そこを抜けると、プラハの春でソ連軍戦車に蹂躙された広場に行きます。市民、観光客などウジャウジャ。

世界文化遺産チェルキー・クルムロフ城 世界文化遺産チェルキー・クルムロフ城。
チェルキー・クルムロフは、チェコの旧首都で日本の京都。

チェコ・チェルキー・クルムロフ街の風景 チェルキー・クルムロフの街並み。チェルキー・クルムロフ城から撮影。

チェコ・ボヘミア地方の農村風景 ボヘミア地方の農村の風景。ユッタリした感じがいいですね。

日本でも京都や石州瓦を使った出雲市などの街並みなど、多くの美しい・歴史が垣間見れるところがありますが、世界文化遺産都市でもある奈良市の奈良町は如何なものかと思います。
全体に、日本の町並みはテンデンバラバラ。都市計画や町興し、真の観光都市造りとは程遠い。個人の権利の乱用、それを許す感覚の悪さ、センスの無さ、個人主義の悪い形を現しています。
ヨーロッパに限らず心が安らぐ美しい所は山ほどありますよね。日本が文化・歴史・自然などを誇りたければ、特に政治家・報道機関・評論家・企業家などは、まず見習うべし(日本には、政治屋、自称評論家、安サラリーマン根性の経営者、それらに悪乗りする国民が多すぎると思いませんか)。いくら時の政治の責任者達が口を揃えて辞麗句を並べても、国際観光の発展、実効性には疑問。


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オーストリアオーストリア

ご存知のとおり、オーストリアは、西はリヒテンシュタインとスイスに、南はイタリアとスロベニアに、東はハンガリーとスロバニアに、北はドイツとチェコの計8カ国に接しています。
中欧で650年間もハプスブルク家が帝国として支配し、第1次世界大戦まで欧州五大国であったり、又音楽を中心に文化大国の歴史を持つなど、今回訪問した3カ国の内、一番経済状況等が安定した国に感じました。現在の国域は、オーストリア=ハンガリー帝国が解体したとき、ドイツ人が多数を占める地域に絞られたため、主要言語はドイツ語です。、

オーストリア ウイーン・トラム67終点駅Kurzutrumの屋外有料公衆便所。早朝の利用が多いそうです。ヨーロッパでは押しなべて有料便所が多く0.5〜1ユーロ程度が多い

オーストリア ウイーン市内を走っている電車で、線数・本数とも多く便利。綺麗です。

オーストリア 世界文化遺産Wineシェーンブル宮殿正面入口。

オーストリア 宮殿バルコニーから見た庭園前景。
一番奥まで行きたかったけど時間的に無理でした。

オーストリア 庭園の近景。

オーストリア Wine市内中心部にある世界文化遺産シュテファン寺院内部。信者、観光客が極めて多い。

オーストリア オーストリア国会議事堂。
近辺は、官庁街で、政府公館、Wine市役所、外国大使館、美術館など目白押し。

オーストリア Wine王宮スイス宮。
美術史博物館は、電車道のメイン道路を挟んで対面にあります。

オーストリア Wine美術史博物館階段室の様子。

オーストリア 数十キロ続く風力発電設備の風景。その個数は素晴らしい。土地(牧場や農地)もあり、風もある感じを受けました。
最近は日本にも多くの風力発電を見ますが、数も稼働状況も格段の差があります。


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ハンガリーハンガリー

ハンガリーは、ユーロ圏に入ってから新しいということと関係しているのでしょうか、押しなべて質素な感じを受けました。工業の底力は有るとの説明もありましたので、将来を楽しみにしましょう。
言語はハンガリー(マジャール)語。マジャール人は東欧では唯一のアジア系民族で、9世紀末にハンガリー盆地に定住したそうです。10世紀に統一国家を作り、14〜15世紀には中欧随一の強国となりましたが、16世紀オスマン帝国の侵略で国土は解体。その後の回復の戦いの歴史に関する遺跡も、これに関したものが多く有ります。
第2次大戦ではドイツに加担し敗れましたが、その後のソ連に対する反発も強くハンガリー事件が発生したことも歴史が示すところです。 国土は、オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア・モンテネグロ、クロアチア、スロベニアに囲まれています。我々日本人には、想像できない厳しい環境です。
国の中央をドナウ川が流れ、又ハンガリー狂詩曲でも有名なように音楽も優れています。

オーストリア・ハンガリー国境の旧出入国管理事務所。ハンガリーがユーロ圏に入ってから無人。休憩所売店があるのみ。トイレは200フォリント。
ハンガリーでは、ユーロは当然使えますが、日常的にはハンガリー通貨(単位フォリント)が使われています。日本では、フォリントから他の通貨への両替が出来ませんから気を付けましょう。

ハンガリー ハンガリー風デザインの民家。
チェコ、オーストリアには見かけなかったデザインで、このような民家を多数見かけました。

ハンガリー 世界文化遺産パンノンハルマ・聖ベネディクト修道院。

ハンガリー 世界文化遺産パンノンハルマ・聖ベネディクト修道院内の数あるステンドグラスの1つ。

ハンガリー ハンガリー最初の首都・エステルゴム(世界文化遺産)のエステルゴム城から、旧市内を見たところ。
右上は、ドナウ川。オスマントルコ帝国との戦いの指令所でもあった。エステルゴム大学があります。

ハンガリー ブダペスト・王宮から、世界文化遺産くさり橋・聖イシュトヴァーン大聖堂方向を見たところ。川は、ドナウ川。

ハンガリー 観光船からくさり橋・王宮・漁夫の砦・マーチャンジュ教会(尖塔部)を見たところ。全て世界文化遺産。

ハンガリー ドナウ川沿いにあるハンガリー国会議事堂。

ハンガリー ドナウ川遊覧船。1時間強の観光。

ハンガリー 王宮内にあるハンガリー大統領府前で演奏する軍楽隊。

ハンガリー 民族楽器で演奏する音楽家。上手。仕事が多くないためか、他に似顔絵書きや奇術師など多彩。

ハンガリー

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スペインスペイン

スペイン・ポルトガル旅行は10月初旬の気候温暖なときに、十日間の日程で行きました。
ご存知のとおり、スペインは立憲君主国で、ヨーロッパ南西部のイベリア半島に位置していますが、西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛び地のセウタ、メリリャ(北アフリカ)ではモロッコと陸上国境を接しています。本土以外に西地中海のバイアレス諸島、西大西洋のカナリア諸島(是非行ってみたい所)などがあります。
歴史的には、先史時代のアルタミラ動物壁画が有るように、ローマ帝国時代、イスラムのウマイア朝による征服、その後の独立戦争など多民族間の戦いと融和など興味があるところです。
行程はお決まりのコースで、スペイン・北東部のカタルーニャ州の州都バルセロナをスタートに、マドリード・トレド・ラマンチャ地方・コルドバ・グラナダ・フリヒリアナ・ネルハ・セビリア・エルバス・エヴォラ・リスボン・アルコバサ・ナザレ・バターリャ・ロカ岬・シントラの順で帰路は、リスボンからフランクフルト経由関空でした。尚、ポルトガルの宿泊はリスボンで3泊。同じ場所は楽ですね。
スペインには、世界文化遺産34件、自然遺産2件、複合遺産が1件あります。ポルトガル始め各国に世界遺産がありますから、詳細はインターネットで調べてください。

スペイン バルセロナ・グエル公園内のアントニ・ガウディ(1926年逝去)の自宅(両方とも文化遺産)。

スペイン クエル公園は全てガウディの作品群で作られていて、その1例。
バルセロナ市内には、ガウディの作品が至る所に在り、その代表がサクラダ・ファミリア。

スペイン ピカソ美術館の案内板(出口のところ)。
ピカソの若いときからの作品が多く展示されていて、写真厳禁。

スペイン 世界文化遺産サクラダ・ファミリア。1882年着工で未完。建設用クレーンが多数。

スペイン アパートのバルコニーに掲げられたカタルーニャ州旗で独立の支持を表明しているもの。 マドリードとの鬩(せめ)ぎ合いは当分の間続きそう。

スペイン 先般スピードの出し過ぎで脱線事故を起こした新幹線のマドリード駅。バルセロナからの移動は、時間短縮を兼ね当然新幹線。快適でした。

スペイン スペイン王室の正面。世界の財宝を掻き集め造った様子が良く分かります。

スペイン マドリード美術館に掲げられているダリの作品の1つ。

スペイン エスパーニャの祝日(10月12日)の祝賀行事の一つ、軍の行進の出発直前の風景。

スペイン トレドの全景。スペインは、中南部は、日本のように樹木は多くなく、乾燥した砂漠化した土地が多い。

スペイン トレドの城壁。

スペイン セルバンテス(Cervantes)のドン・キホーテで有名なラマンチャ地方の風車。小高い丘の上に在ります。

スペイン コルドバのローマ時代の橋。

スペイン コルドバの寺院。

スペイン グラダナのフラメンコダンサー。
フラメンコはアンダルシア地方の音楽と舞踏。歌をカンテ・フラメンコ、舞踏をバイレ・フラメンコと呼ぶそうです。 かなり迫力がありました。写真のとおりダンサーは全員黒髪でした。

スペイン グラナダ・アルハンブラ宮殿の中庭のひとつ。

スペイン グラナダ・アルハンブラ宮殿の中庭のひとつ。

スペイン グラダナ・アルハンブラ宮殿の高いところから撮った宮殿の一部とグラダナ市内の部分。

スペイン ネルハ(Nerja)の地中海の風景。
(jはhの発音、hはサイレント)

スペイン セビーリャ(Sevilla)・スペイン広場

スペイン スペイン広場の中にあるタイル壁画のひとつ。
円形の広いスペイン広場の内側周囲全面にあります。

スペイン セビーリャ・コロンブスの墓
コロンブスは、イタリア・ジェノヴァ出身とされています。彼は、探検家・航海者・コンキスタドール(スペイン語で征服者)・奴隷商人でした。確かに夢を実現するため、努力家だったことは紛れも無い事実だったようです。  

スペインは失業が多く、スリに気をつけましょう。私も、女性の2人組にコルドバで狙われ、気づいたときは私のバッグに手を入れるところでした。

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ポルトガルポルトガル

ポルトガルは、正式にはポルトガル共和国で、西ヨーロッパのイベリア半島に位置しています。
北と東にスペインと国境を接し、国境線襲う延長は1,214kmもあります。
西と南は大西洋に接していて、所謂世界に広がっている感じです。大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有しています。
当然、海の幸は美味しいです。
ポルトガルと日本は、日本語にもポルトガル語を語源(カステラ、キャラメル、ボーロ、ビスケット、コンペイト、カッパ、キリシタン、デウス、フラスコ、メリヤス、オルガンetc)とするほど言葉が沢山あるように、古く安土桃山時代から密接な関係ですね。キリスト教についてもその影響力は大きいです。
多くの世界文化遺産の寺院なども見ましたが、それらは端折る事とします。

ポルトガル イベリア半島で最長のアモレイラの水道橋。

ポルトガル 世界文化遺産エヴォラ。1世紀の神殿でディアナ神殿。

ポルトガル ナザレの海岸。 右は大西洋。♪海は広いな大きいなー

ポルトガル ナザレで民族衣装に身を包んだナッツ・スイーツ売りのおばちゃん。

ポルトガル ナザレのイワシ料理。日本人の口に合います。最低2匹で追加不要なら明確に断る。料金的には4匹分含んでいる。

ポルトガル 世界文化遺産バターリャ修道院。ステンドグラス・回廊・礼拝堂が見事。

ポルトガル ポルトガルは海洋国家なので新鮮な魚が多く売られています。

ポルトガル 海洋国家を象徴するベレンの塔。

ポルトガル エンリケ航海王子の記念碑。

ポルトガル ユーラシア大陸最先端のロカ岬の塔

ポルトガル ロカ岬から大西洋を望む。
この日は珍しく快晴でした。普段は強風と靄(もや)で天候は厳しく、写真のように高木は周りに見当たりません。
誤解が無いよう一言。
スペインは砂漠化した土地のため、オリーブの木しか印象に残りませんが、ポルトガルはコルクで有名で、特に北部の方は大きな木が沢山あります。
従って、食事や雰囲気も我々日本人に馴染みやすいように思われます。


イタリアイタリア

イタリア! Buongiorno !
我々には耳慣れた親近感の深い国ですね。
幼少の頃からローマを初め聞きなれた都市が多く、芸術面、「ローマの休日」や「ひまわり」など映画などでも知られ、ピッツアやスパゲッティーなど日常の食文化の関わりも深いですよね。
2015年6月15日から十日間訪問しましたのでその旅行記を書きましょう。
若干イタリアについて。(詳しくは旅行ガイドブックや歴史書で勉強してね)

イタリアは、正式にはRepubblica Italiana(英語ではItarian republic)、日本語表記は「イタリア共和国」で単一議会制共和国です。
古くはイタリーとも表記され、発音は英語のItaly、フランス語のItalieに近い。漢字では伊太利亜など。
イタリアという名の由来に定説はないようで、確かなことは、イタリアという単語は、元々、半島の南端部の狭い地域の名だったということのようです。
国旗は左から緑・白・赤の三色旗。イタリアレストランで再確認しましょう。
ギリシャ時代から都市国家が成立していました。
紀元前753年にローマ建国エルトリア人も12の都市国家による都市連合の王政を築いていました。
紀元前509年にローマ人貴族がエルトリア人の王を追放し共和制を開始しました。

イタリアは、隣接多民族国家と境界を接し又多民族国家あったことから、昔から諍いと戦争・和平の連続で、ローマ帝国、東西ローマ帝国、神聖ローマ帝国などの名前が教えるように、日本では想像できないような、複雑な歴史を持っています。
多民族国家であると共に西ローマ帝国滅亡以降、政治的分裂が長らく続いており、そのために各地域ごとの方言差が大きくなったとされています。
イタリア語の方言は、大きく北部方言・中南部方言に大別され、ラ・スペリア=リミニ線が等語線となっています。
そこから更に北西部・北中部方言、北東部方言、中部方言、南部方言、周辺の島々の方言に分けられています。
標準イタリア語は、各地の方言の中から最も周辺国の言語(フランス語やスペイン語など)の影響を受けていないトスカーナ方言やナポリ方言・シチリア方言の語彙を取り入れて作られています。
現在イタリア国民のほとんどは標準イタリア語の話者となっています。
しかし一方で近年のローカリズム運動の高まりもあって、方言の中でも特になまった(独自性の強い)ものについては独立した地位を与え保護すべきかどうかについて議論が進められています。
このことが、現在の政治やサッカーの試合などにも現れ、政党の離合集散、内閣の変更がよく起こる所以ではないでしょうか。
しかし、人口は約6100万人でヨーロッパ第5位、経済は、ユーロ圏では第3位、世界では第8位の経済大国です。
また、何世紀にも渡り西洋文明のの主要な政治及び宗教の中心地であり続けたことも周知のとおりです。

堅い話は止めにして旅行の話しへ・・・

イタリア イタリアなどヨーロッパへは北回りと南回りがあります。
今まで北回りばかり行っていたので、今回は時間がかかりますが南回りで行くことにしました。
理由は二つ。
一つ目は、ISのせいでトルコ行きがイタリア行きに変えさせれれたのでIS支配地区をこの目で見たかったこと。
二つ目は、南回りで一番遠くへ言った先は、45年前にマレーシアのインド洋に浮かぶペナン島(東インド会社や避暑地で有名。ここで初めてドリアンを食べ美味でした。)が最西端だったので、インドやアラビア半島なども見たかったから。

イタリア 上の写真で分かるように、現在地は、イラン上空です。下は黒海上空。
見事にIS支配地域や戦闘地域を避け、乗客の安全第一を考え航路を選んでます。
マレーシア航空のこともあるし。
結局、通過国は、
中国(上海付近から入国)・ミャンマー・バングラディシュ・インド・パキスタン・(インド洋)・オマーン・アラブ首長国連邦・カタール・(ペルシャ湾)イラン・イラクの北部国境付近・トルコ・(黒海)・ブルガリア・ルーマニア・セルビアモンテネグロ・ボスニアヘルェコヴィナ・クロアチア・(アドリア海)・目的地イタリアでした。

カタール カタール

カタール・ドーハ空港の風景。
写真左。イスラム教の宗派は、特に女性の服装で違い・差が分かります。
宗教に厳格であれば、完全に黒ずくめで目しか出していません。
完全に黒ずくめだと(特に集団)、我々には、馴染みが無い為、異様に映ります。
空港は新しく近代的です。
写真右。空港内のイスラム教の男性用祈祷室。男性と女性で別室となっています。
多数の人が行き交うので、邪魔にならないよう、又心静かに祈れるよう、各所に別室を確保しています。

イタリア ミラノの空港の様子。
現在、ミラノで「食の博覧会」が開催されていて、お客の出迎え風景です。
空港だけでなく、ミラノ市街地も警戒が厳重で、日本とは比較できません。
武装警察だけでなく自動小銃を携帯した多数の軍人が配備され、写真を撮る雰囲気は無縁。
フランスやチュニジアなど色々な所で、ISの信望者がテロを起こしているので相当神経質でした。
他都市や高速道路でもミラノほどではないけど厳重。

イタリア ミラノ最初の観光のスフォルツエスコ城(Castello Sforzesco)の入り口付近。

イタリア ミラノの代表的大聖堂(Duomo di Milano)全景。
ここも自動小銃を携帯した軍人や武装警官がいっぱい。入場チェックは若い男女の武装軍人。
ホールドアップして体全体の磁気探査と手荷物検査。

イタリア イタリア










大聖堂の中のステンドグラス。
製作時期の変遷が分かります。
ステンドグラスは聖書のストーリーを表現しています。
写真撮影OK。但しフラッシュはだめ。

イタリア イタリア










ミラノ大聖堂へは、有名なビットリオ・エマヌエーレ2世ガツレリア(Corso Vittorio Emanueleni U)を通って行きましたが、この通りには、ファッションの都のとおりGUCCI、GIORGIO ARMANI、PRADA、LOUIS VUITTONなどが軒を並べてました。
貧乏人の私には見るだけ。敷居が高い雰囲気で、店に入るのには度胸がいりますね。
この混雑振りを見てください。
世界中の観光客でいっぱいです。
写真上は、この通りの中ほどにある、モザイクタイルの上で、幸運を付けるため、踵で回る子供。
老若男女、国籍を問わず回っていました。当然私も回りました。

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サンドウイッチ売り場。
市街地や観光地など人の集まるところ、高速道路サービスエリアなど全国至る所にこのような売り場があります。

イタリア イタリア旅行3日目は、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に「ドロミーティ(Dolomiti)」の名で登録されている、イタリア北東部にある山地、東アルプス山脈のハイキングです。
隣接国はオーストリア。
ボルツアーノ自治県(南シロル)、トレント自治県、ベツルーノ県にまたがっています。
ベネチアからオーロンツォ小屋(Rif.Auronzo標高2340m)まで車で約3時間・162km、それから2時間のハイキングでした。
左の写真のハイキングコースを片道1時間歩きRif.Lavaredoまで。 風光明媚でした。是非どうぞ。

イタリア 気温は10℃以下。真夏でも秋後半か冬支度が良いです。年寄りには手袋もあったほうが良い。
雲行きもクルクル変わり、ガスもすぐ発生します。
Dolomitiの名は、18世紀フランスの地質学者デオド・ドゥ・ドロミュー(Deodat de Dolomieu) に由来します。
彼は、この山々で非常に豊富な鉱物である苦灰石(ドロマイトdolomite)を発見した人物。
イタリア語では、モンティ・パッリディ(Monti Pallidi、青白い山々)とも呼ばれています。

イタリア Dolomitiは、写真のように、別々の100m程の先端を持った高い頂上を持つ形によって特徴づけられています。奇山に見えました。
最も高い頂上は3342mのマルモラーダ。
岩は、岸壁を登るアルプス登山家の実践場所を提供していて、我々の目の前で相当速い速度で上っていきました。見事でした。
左の写真は、右側から、Kl.Zinne C.Piccolo2857m、Cima Grande Gr.Zinne3003m、Cima Ovest Westl.Zinne2973mの山々です。
ハイキングコースの真横にそそり立っています。
迫力あり。

イタリア 他のカルシウム質の地域とは反対にドロミーティには石灰岩の侵食現象による洞窟などが存在していないそうです。
岩質は脆く、砂防工事(自然を破壊しない範囲で有料道路沿いの最小限)や下流河川の改修が行われていました。

イタリア 牧草が生える極限近くの相当高いところまで牧場があります。(Dolomitiの近所で)
勿論低地でも多くの牧場がありました。
チーズ作りには必需品で、多くの家畜がのんびりと育てられていました。

イタリア ミラノからナポリまで7日間運転してくれたフェデリコさん。
二人の子持ちで運転中も奥さんなどと良く電話してました。
運転席には当然かわいい子供の写真を飾ってます。
運転技術は最上級のようで上手いし明るい。
水や炭酸の飲料水(便秘解消のため)を一本2ユーロで買い、我々夫婦で合計30本以上買いました。
24人の団体だったので相当の儲けですな。
多分税の申告無し。
長期間家を空けての単身赴任みたいなものだから、この程度は正当な報酬と考えるのが妥当かも。
尚、1日の労働時間は守る必要があり、時間外労働はなし。
サービス残業を強要したり不当労働行為が相変わらず話題になる日本の業界は、見習う必要あり。

イタリア イタリア

写真左。ドロミテ下流河川の護岸工事の様子です。
たまたま、工事の関係ですれ違いのため3分程度バスが止まっていたので、それなりに観察できました。
写真の通り護岸の土砂は脆そうに見えます。
作業員は、丁張はしてなくて、ヘルメットを着用してないなど、工事精度や安全対策には無頓着のようです。
多分、長年の勘、経験則で作業しているのでしょう。
写真右は、ドロミテ周辺のレストランです。落ち着いた周りの景観に溶け込んだ雰囲気が良いですね。
料理も多分美味しいでしょう。

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アルプスの高山植物。
数十種類写真を撮ったので名前を調べて別途公表しましょう。一寸時間掛かりそう。

イタリア ドロミーティを背景にしたミズリーナ湖(Lago di Misurina)。
ベッルーノ県アウロンツォ・ディ・カドーレにある、海抜1754m、周囲2,6km、水深5mの小振りの自然湖。
湖の近辺には約10件のホテルがあり、約500床のベッドがあるそうです。
湖の周辺の空気は呼吸器疾患に苦しむ人達に適しており、イタリアで唯一つの気管支喘息の子供のためのセンターがあります。
又ヨーロッパの金持ちの別荘もたくさんあります。
1956年のコルティナ・ダンペッツォ・オリンピックでスピードスケートの会場となりました。オリンピックのスピードスケートが自然の氷の上で行われたのは、この時が最後。
ドロミーティは、1800m (北側斜面) または2200m (日射のある斜面) まで植物が生育し、主に針葉樹林 (ドイツトウヒ、ヨーロッパモミ、ヨーロッパアカマツ) となっていて、ヨーロッパハイマツとムゴマツ(2つの亜種があり、低木約3−6mと高木約20m。)の森となっています。
日本も緑は多いですが、生育する樹種が違っていて、樹林に見とれてしまいます。
この自然を満喫するため、多くの人が標高差1000m以上のハイキングを楽しんでいました。
69歳の私には無理。彼ら彼女らの歩速は素晴らしい。うらやましい。
麓からの自転車の登山者も多かったですね。
道中、イタリア語は当然としてドイツ語・フランス語・英語・スペイン語・全く分からない言葉等、国籍も様々でした。

イタリア 鴨の家族が近くまで近寄ってくれました。
日本ではあまり接することが少ない光景で、ホッとした感じを受けます。。

イタリア コルティーナ・ダンペッツォ(Cortna d'Ampezzo)の中心街。
ヴェネト州(州都ヴェネツィア)ベッルーノ県にある、人口約5900人の基礎自治体(コムーネ)。
ドロミーティ山脈の麓、アンペッツォ地方の中心地で、登山やウィンタースポーツの拠点となるリゾート地。
1956年には、この町を中心に冬季オリンピック(コルティーナ・ダンペッツォ・オリンピック)が行われました。
ここにも、ヨーロッパの金持ちの別荘がたくさんあります。
この地は、中世には神聖ローマ帝国の管轄化でしたが、1508年にはオーストラリアに征服され1920年までハプスブルグ家が領有していました。
しかし、ドイツ語話者は少数にとどまり、在来のラディン語(レト・ロマンス語群の言語)が維持されドイツ語圏に入ることはありませんでした。

イタリア コルティーナ・ダンペッツォの小さなスーパーの果物や野菜売り場。
値段は、果物・野菜・スパゲッティ・ワインなど日用必需品は日本の半値以下の感じ。
嗜好品などやレストランなどは日本よりかなり割高感あり。
イタリアでは、朝食では殆ど野菜ゼロで昼食・夕食でも日本と比べると相当少なく、野菜欠乏症になります(気分的に)。
これは、ヨーロッパ全般に共通。
トマトと桃を買いましたが、固めですが、nice tasty!
全て計り売り。
商品に番号がついているので、ビニール袋に商品を入れ秤に番号を入力すると袋に貼り付ける値段表がoutputされます。
なお、野菜・果物類を素手で持つのは厳禁で、備え付けの使い捨て手袋を着用します。

イタリア 旅行4日目。
ヴェネツィア(Venezia)観光へ出発。
ヴェネツィアは、イタリアの北東部に位置する人口約26万人の都市。
中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄え、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名を持っています。
英語では「Venice}と呼ばれ、これに由来し、日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれます。
右の写真は、本土の連絡船乗り場。

イタリア 都市としてのヴェネツィアは、ヴェネタ潟上の島(ヴェネツィア本島、5.17ku)に築かれています。
自治体としてのヴェネツィア市は、ヴェネタ潟の島々や本土側も市域に含み面積は412.54kuあります。
多くの島々で特に有名な島は、映画「ベニスに死す」で有名なリード島、ヴェネツィアン・グラスで有名なムラーノ島(グラス工房や店に行きましたが撮影禁止)、レース編み産業のブラーノ島(レースも綺麗でした)などがあります。
左写真は波止場からサン・マルコ広場へ行く途中ですが、荷物運搬用の艀や橋、老朽化した家並みが見て取れます。

イタリア ヴェネツィア本島全体が小さな島々から出来ています。
150を越える大小の運河が177の島々を分け、運河には400に及ぶ橋が架かっています。
生活に使う橋は、上と下の写真の低い位置にある古い感じのアーチ状の物です。
地上は、迷路のように狭く曲がりくねった路地があり、ずんずん歩くと方向が分からなくなります。くれぐれも注意してください。
自動車は勿論バイク、自転車も禁止で乳母車と車椅子はOKです。

イタリア 現在のヴェネツィアは、地価の高騰や家賃が高いため若者の人口流出が多く、水害や地盤沈下、大気や水の汚染、建造物の老朽化など多くの問題に直面しているとのことです。
左写真の高い位置の白い大理石造りの橋は、「ため息橋」といいヴェネツィア観光名所のひとつです。
「ため息橋」という名前は、独房に入れられる前に窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのは最後であるというので囚人がため息をつくというところからです。

イタリア 主要な交通機関は必然的に船となります。
水上タクシー(モトスーカフィ、motoscafi)、水上バス(ヴァポレット、vaporetto)、渡し舟(トラゲット、traghetto)などが頻繁に運行されています。
観光客に対する乗船賃は、島民や島で働く人達に比べ4倍程度の設定料金です。距離に関係なく1回6.5ユーロ。
警察や消防、救急輸送も船舶を用いて業務を行っています。
写真のような運搬船が日用品を届けています。
従って、運河に面した玄関を持つ建物が多くありました。

イタリア ゴンドラと呼ばれる手漕ぎの船が有名ですが、現在は一部の渡し舟を除き、観光用途に特化し運行されているとのこと。
ゴンドラの乗船場。
緑色のものが看板。
ゴンドラは通常6人乗り。
乗船時間は概ね30分程度。

イタリア 我々が乗ったゴンドラの船頭のおっさん。
ゴンドラから降りるとき、一人2ユーロのチップを強制的に渡す必要があります。
1回運行で12ユーロが収入。1日何回乗せるのかなー。
チップは脱税の温床とのことで、税務署もあまり関知しないとのことでした。
この運河は広く橋はありません。従って艀や水上バスなどで移動することになります。

イタリア ヴェネチィアには、極めて多くの、それも豪華な寺院があります。
ゴンドラから写した一風景です。

イタリア サン・マルコ広場
世界中からのお客さんで超満員。
サンマルコ広場が水浸しの写真見たことありますよね。その理由は、
大潮、低気圧、そしてアドリア海の東南から吹く「ソロッコ(scrocco)」の3つの要因が重なると、「アックア・アルタ(acqua alta、高水の意)」と呼ばれる高潮がヴィネツィア湾で起こります。ヴィネツィアの街中まで海水が入りこみ、特に一番低い「サン・マルコ広場」が 水没することになります。
過去、北の対岸の工業地帯の地下水の汲み上げが行われ地盤沈下したのです。
大阪や東京と同じ現象。
地球温暖化による海面上昇も懸念されていますが、対策は?

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乗りの良いアイスクリーム屋の兄ちゃん。
典型的イタリアン。
値段表
地元推薦のアイスクリーム屋で美味しかった。

イタリア 写真右の建物はドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale、現在市長の執務室)、左はマルチアーナ国立図書館(Nazionale Marciana)、塔はサン・マルコ広場の鐘楼、ドゥカーレ宮の奥に隣接して国立考古学博物館(Museo Archeologico)、その奥にサン・マルコ寺院(Basilica di San Marco)があります。
ヴェネチアについては、なぜ潟に住むようになったのかとか、マルコポーロやムスリムとのこと、十字軍のことその他興味のある事柄がありますが省略します。

イタリア 旅行5日目はフィレンツェ(Firenze)とピサ観光
フィレンツェは、イタリア中部にある都市で、約36万人の基礎自治体。
トスカーナ州の州都でフィレンツェ県の県都です。
中世には毛織物業と金融業で栄え、フィレンツェ共和国としてトスカーナの大部分を支配しました。
メディチ家による統治の下、15世紀のフィレンツェはルネサンスの文化的な中心地でした。
ローマ時代、花の女神フローラ(Flora)と名付けたことが語源とされています。
ルネサンス芸術では、ボツテイチェリ、レオナルド・ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍しました。
フィレンツェは、温暖湿潤気候と地中海性気候の境界線上にあって、6月中旬は暑くありませんでした。薄い羽織る物があればいいでしょう。
この写真は、ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)の銅像(レプリカ)です。
この広場は高台にあり、景観は素晴らしいです。市内が一望できます。

イタリア 写真手前右は、フィッツィ美術館で奥にヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)やサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂( Cattedrale di Santa Maria del Fiore)が見えます。
フィレンツェの観光の中心地。

イタリア ヴェッキオ橋またはポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)。
この橋はフィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋です。
イタリア語で「古い橋」の名が示すとおり、フィレンツェ最古の橋で、先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋す。現在の橋は1345年に再建されたもの。
橋の上に宝飾店が建ち並んでいることで知られています。
写真の右側から橋に続く建物は「ヴァザーリの回廊(Vasari Corridor)」で、メディチ家の専用通路として約1キロにわたり、ヴェッキオ宮殿からヴェッキオ橋の上を通ってピッティ宮殿まで、一度も地上に降りることなく続いています。

イタリア サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂( Cattedrale di Santa Maria del Fiore)
フィレンツェにあるカトリックの教会。
1296年から140年以上の歳月をかけ建設されたそうです。
外装は白大理石を基調とし、緑、ピンクの大理石によって装飾され、すこぶるイタリア的。
フィレンツェの大司教座聖堂で、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されています。
教会の名は「花の(聖母)マリア」の意です。

イタリア 巨大なドームが特徴の大聖堂は、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルとなっていま す。
石積み建築のドームとしては現在でも世界最大といわれています。
ドームの高さは107mです。
ドームの天辺に登っている人が米粒の様に見えます。(見えるだけで18人程。半周分)
東大寺大仏殿は高さ49.1m(創建時約86m)、大仏様は14.7mですから、すっぽり入るほど大きいです。

イタリア サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の巨大なステンドグラスの一つ。

イタリア ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)
フィレンツェ市役所として使われています。
要塞を思わせる凹凸のある大きなロマネスク様式の宮殿で、トスカーナ州でも最も印象的な市役所。
1299年から1314年にかけて建設され、初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われました。
シニョリーア広場(Piazza Della Signoria)(人がたむろしている所、スリ・置き引きに注意:但しイタリア中何処でも)に面していて、正面脇にはミケランジェロのダビデ像のレプリカがあり(写真の右下)、隣のロッジア・ディ・ランツィには複数の彫像が展示されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」が500人大広間にあるヴァザーリの壁画の裏側に隠されています。
鐘楼は高さ94m。
ウフィツィ美術館に隣接しています。
フィレンツェでは、石畳の上を約1万9千歩歩かされました。相当きつかったです。参考まで。

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ダビンチ作とウフィッツィ美術館の廊下の天井画

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ラファエロの作品2点

イタリア ピサ大聖堂は、トスカーナ州、ピサ市に位置する「ピサのドゥオモ広場」に建てられた、ロマネスク時代を代表する建築物の一つ。
ドゥオモ広場はピサのアルノ川の河畔に位置する広場で、1987年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。
広場には大聖堂の他に、洗礼堂や墓所回廊、そして傾きで有名な鐘塔(通称:ピサの斜塔)があり、これら複数の建築物が集合体として全体的に統一された外観を呈していることから、通称「奇跡の広場」(Campo dei Miracoli)とも呼ばれています。
写真は、手前が洗礼堂、大きな建物が大聖堂、奥に鐘楼が見える全景です。
洗礼堂で短時間キリスト教の歌を聴きましたが(時刻が決まっていて聞ける人は少数。)、音響効果は素晴らかったです。
この近辺には、アフリカ人の露天商などが密集し、異様な感じを受けました。
イタリアは、エチオピアを植民地にしていて、アフリカ人はそれなりに多かったのですが、最近はISなどアフリカの政情不安に伴い、密航者を含め多数の不法残留者が居るとのことです。

イタリア ピサの斜塔(Torre di Pisa)は、ピサ大聖堂の鐘楼で、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する観光スポットです。
高さは地上55.86m、階段は296段あり、重量は14,453t、地盤にかかる平均応力は50.7tf/m2と見積もられています。
一時傾斜の増大と倒壊の危惧がありましが、その後の処置により、当分問題ないと判断されています。
5.5度傾いていましたが、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に是正されているとのこと。
下から4階目から傾斜が段々緩くなっているのが分かると思います。
見る方向によっていろいろ変化します。機会があれば裏からも見てください。
また、最上階まで登れますが、時間がなかったので登りませんでした。
かつてのガリレオの実験に対して行われた異端審問の弾圧に関連してローマ法王が侘びの公式声明を塔の頂上にて行った事も有名。

イタリア フィレンツェで徒歩移動でフィレンツェ駅構内を通り抜けるとき、たまたま新幹線を見る機会がありました。
スペインでは新幹線に乗りましたが、やはり、日本の新幹線の方が優れていると思います。

イタリア フィレンツェでは珍しく大き目の骨付きリブの昼食でした。美味かった。
通例、スパゲッティ・パスタ・マカロニの内一つと、鶏肉、豚肉か海の幸の料理が多いです。ただ、イカリングをフライにしたものなどは不味い。
イタリア料理は、ヨーロッパの他国より日本人の口に合います。
ドイツ、フランス、イギリスなどに行った人の食の話は、殆どボロクソでした。

旅行6日目ついにローマ観光です。
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イタリア 上左はトレビの泉。意外に小さかったです。
右はスペイン広場。ここも思ってたより狭い。
何処も観光客だらけ。
期待はしてませんでしたが、「ローマの休日」の雰囲気ゼロ。
左はコロッセオ。
外壁などの長期補強工事中でした。

イタリア 世界最小の国家バチカン市国(ラテン語: Status Civitatis Vaticanæ、イタリア語: Stato della Città del Vaticano)。
バチカンはローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と東方典礼カトリック教会(正教会や東方諸教会で用いられる典礼を使いながら、ローマ教皇権を認めてカトリック教会の教義を受け入れ、ローマ・カトリック教会とフル・コミュニオン関係にあるキリスト教の諸教会の総称。*言葉の詳細定義などは調べてください。)の中心地、いわば「総本山」です。
バチカンの統治者はローマ教皇(ラテン語:Pāpa、ギリシャ語:Πάπας、英語:Pope)。
公用語はラテン語。
サン・ピエトロ大聖堂(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。
サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みに由来します。
サン・ピエトロ大寺院、聖ペテロ大聖堂、セント‐ピーター寺院などと表記されることもあります。

イタリア 大聖堂に向かって右側の円形建物。
見学者の長蛇の列。
我々は運良く40分ほどで入場できましたが、2時間待ちもザラとのことでした。

イタリア 女性の短パン、ノースリーブは入場できません。
この女性は入場を断られましたが、大き目のスカーフを2枚買いどうにか隠すことが出来、入場を認められました。
露出狂の女性は注意しましょう。

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イタリア 上左は大聖堂中心の説教礼拝場所。右は壁画群の一つ。
左は、大聖堂通用門の衛兵。

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写真左。大聖堂正面左側で、法皇説教時の信徒用の座椅子が多数並べられています。
写真右。現教皇フランシスコ(第266代)は、最上階右から2番目の窓のところから顔を見せ、週1回、サン・ピエトロ広場に集まった信者に向かって祝福を述べます。

イタリア バチカン市国は手狭なので、教会関係の他の施設はイタリア側に多数あり、バチカン市国の所有物を示すため国旗が立てられています。

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上左はコロッセオ近所の公園に集まった労働組合のデモの参集風景。
黒人も多数参加。
大規模デモのため、報道機関も多数取材しており、テレビなどでも報道していました。
デモの周りには武装警察が待機。武装警察は服装も装備も車両も黒尽くめで、迫力あり。
右は、市内のデモ終盤の状況ですが、道路に多数居るので極度の交通渋滞に巻き込まれました。

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夕食はカンツオーネを聞きながら。
歌手の声量は抜群でした。

イタリア 旅行7日目
ポンペイ遺跡の入り口
ポンペイ(ラテン語: Pompeii、イタリア語: Pompei)は、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。
西暦79年8月24日のヴェスヴィオ(Vesuvio)火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム(Herculaneum)及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
ポンペイは厚さ7m程度の火砕流で埋め尽くされ、あまり深くなかったので掘り起こされましたが、ヘルクラネウムは最初灰によりその後土石流により20m以上の暑さで埋もれ、結果として建物はあまり破壊されず残っていて、本格的に発掘されればポンペイ以上の遺跡が出るといわれています。

イタリア ヴェスヴィオ山( Il monte Vesuvio)は、イタリア・カンパーニア州にある火山。
ナポリから東へ約9kmのナポリ湾岸にあります。
現在は噴火していません。
狭義のヴェスヴィオ山は、ソンマ山(1,132m)とよばれる外輪山が取り巻いた標高1281メートルの複合成層火山。
現在のヴェスヴィオス火山の形。見る方向によって感じが相当変わります。
元々、富士山のような形状をしていたらしいけど大噴火で上部が吹き飛んでしまった。

イタリア <紀元前217年にも大規模な噴火を起こしています。
432年の大噴火の他、1631年12月16日には紀元79年以来最大の噴火(VEI4、VEI:Volcanic Explosivity Indexで火山爆発指数といいます。0から8。)をおこし、約3,000人が死亡しました。
また1822年には噴煙を14km噴き上げています。
最近の噴火は1944年3月22日のもので、サン・セバスティアーノ村を埋没させました。

イタリア 公衆浴場の入り口。

イタリア 公衆浴場の内部の壁の彫刻。
浴場は蒸し風呂。

イタリア 道路の基本構造が分かります。
左右は歩道。
中央の一段低いところは、排水溝を兼ねた車道。轍跡がはっきり残っています。
左右の歩道を渡るため飛び石があります(写真の奥に見えます)。

イタリア 中流家庭の内部。
広さ、部屋の配置、自然採光など良く考えられています。

イタリア 各家庭の水道の受け口。
デザインも良く彫刻も置かれるなど非常に立派です。
壁には壁画も描かれ美的感覚が優れています。

イタリア 水道が引かれ、公共水汲み場。
オーバーフロウした水は、車道に流れます。

イタリア 財産家の大邸宅跡。

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発掘された人のレプリカ。

イタリア 給排水の衛生面、交通、住み易さなどを総合的に計画した住宅の配置など構造が良く分かります。
都市計画、市民の生活、社会性・政治のレベル、教養などが良く分かりました。

旅行7日目の続きナポリです。
ポンペイとナポリは9kmの距離。

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パスタ屋の主人。
パスタ類の値段は基礎食品のため安く種類も豊富です。

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ナポリの高台から、ナポリ湾の眺望。
夜景は世界一といわれています。
ヴェスヴィオ山も近くに見えます。

旅行8日目。カプリ島「青の洞窟」へ出発!

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ナポリ港と我々が乗船したフェリー。
ナポリ〜カプリ島間は約1時間。
乗船チケット

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写真左、海側から見たカプリ港の風景。
写真右、青の洞窟へは、40人乗り位の船で行きます。
この船に青の洞窟に入るボート(船頭を入れて5人乗り)を2艘引っ張って行きます。
ボートの船頭は揺れながら朝食中。

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カプリ港から青の洞窟まで30分強。
途中の崖に羊が住んでました。
中船からボートに乗り移るところ。
非常に混雑していて通例待ち時間2時間。
下の写真のように陸路で来る人も多く大変。
我々は、ガイドがしっかりしていてナポリを15分予定より早く出発し、朝食はホテル用意の弁当を船で食べたおかげで、待ち時間が30分程度で済みました。
従って、我々はカプリ島観光と美味しい昼食を食べましたが、若干遅かった日本人のグループは2時間待ちで、予約した昼食は無し。残念でした。
機転の利くガイドが如何に大切か良く分かります。

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我々は青の洞窟を観光できましたが、前日まで10日間は入れませんでした。
なぜなら、写真のように、洞窟への入り口は高さが1m程度しかなく、晴れてても波が高ければアウト。
ここで一言。ボートが洞窟に入るとき、岩に頭をぶつけない様頭を下げます。
客3人は舳先を見て寝、1人は艫(とも)を見て寝ますが、正解は、舳先に乗り、艫を見て寝る人が洞窟の青を満喫することが出来ます。
このことはガイドブックなどに載ってません。

イタリア イタリア

左はフェラーリの社長のカプリ島の別荘。特に裕福でないと高くて持てないようです。
右はカプリ島の高台からの眺望。

イタリア イタリア

カプリ島の花

イタリア ♪〜帰れソレントへ〜のソレントです。
カンパニア州の港町。
ナポリ湾南東岸のソレント半島にあります。
カプリ島にも近く、世界遺産のアマフフィ海岸にも近いです。
アマフフィに行くためカプリ島から渡りました。
ローマ時代からの保養地です。
オレンジ、レモン、オリーブなどを産し、ブドウ酒は古くから有名。

イタリア ソレントからアマルフィに行く道中の海岸の風景。
絶景です。

イタリア 風光明媚な休憩所で果物売りの露天を出している純イタリアンのおっさん。
レモン、オレンジ、サクランボなどと果汁100のジュースなど売ってました。

イタリア イタリア

アマルフィの古めかしいタイル作りの看板とその一部拡大。

イタリア アマルフィ市内の教会。
中には立派な礼拝堂が2箇所ありました。
1箇所は、階段を上ったところと同じレベルで、もう1箇所は2階分くらい下がった地下にあります。

イタリア 八百屋の野菜類の種

イタリア アマルフィの町並みと海岸の様子。
国内はもとよりヨーロッパ中から夏のヴァカンスで大賑わいでした。
金持ちは別荘を構えています。
別荘は、海岸から数百メートルの高さの間沢山ありました。
また、海には高価そうなヨットやクルーザー、モーターボートなど沢山。

イタリア 帰路は、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港(伊: Aeroporto internazionale Leonardo da Vinci、英: Rome Leonardo da Vinci International Airport)から地中海を横断しエジプトのAlexandria、Cairo付近を通り紅海へ出、サウジアラビアのMedina、Riyadh付近を飛行しBahrainを通りDoha経由Osakaへ。
無事帰国。
10日間の旅終了。

イタリア イタリア

イタリア イタリア

イタリア イタリア

イタリア イタリア

イタリア イタリア

イタリア イタリア

旅行中に食べた食事の例。
デザートの写真は有りますが載せてません。ご想像を。
帰国してHbA1c(NGSP)を測ったらえらい事になっていました。
腹も身のうち。食べすぎには気をつけましょう。
健康管理が第一ですよ。
長文におつき合い頂きご苦労様でした。



ハワイ−Uアメリカハワイ(州旗)

今年2016年6月、もう行くことは無いだろうと思っていたハワイに、4回目の旅行をすることとなりました。
今回で最後のハワイ行きとなると思うので、日帰りですがキラウエア火山のあるハワイ島へ行くこととしました。 この旅行記は、キラウエア火山とパールハーバー、ポリネシア・カルチャー・センターについて書くこととします。
旅行記の前に、若干最近のアメリカ合衆国入国時の事情について書いておきましょう。
ご存知のことと思いますが、アメリカ合衆国入国に当たっては、「改めてESTAの取得」が必要です。してないと入国不可。
「改めて」とは、IS等によるテロが世界的に活発で、昨年(2015年)来、フランス、ベルギーなどで爆弾テロが発生したため入国の条件(特定の国への渡航経験の有無等)を強化したためです。
詳細は、アメリカ大使館のホームページで出発前に必ず確認し必要な手続きをして下さい。
ハワイでの入国管理は従前より厳格となり、「二重チェック」を行うようになりました。
見に覚えが無ければ心配いりません。参考まで。

ハワイ島(ビッグ・アイランド、キラウエア火山)の話し

ハワイ島 ハワイ島

(ハワイ島へはホノルル国際空港からハワイアン航空の定期便が頻繁)

ハワイ州(State of Hawaii)はアメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州です。
州都は、ワイキキの浜辺があるオアフ島のホノルルで、ハワイ州には、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、ニイハウ島、カホオラウエ島そして今回訪れたハワイ島(ビッグ・アイランド、最大の島、Island of Hawai‘i)という8つの島と100以上の小島があります。
Hawai‘iは、「ハワイイ−」と発音し、「最後のiも明確に発音」します。
ハワイ島は、世界中で最も火山活動が活発な火山で海底からの高さが世界最高峰を誇るマウナケア山(海抜4,295m、休火山、富士山3,776mより当然高い)と粘性の低い水飴のように溶岩を噴出するキラウエア火山が有る事で特に有名です。
世界レベルのサーフィン、伝統的なフラ、王朝の歴史を語り継ぐ米国で唯一の宮殿、ハワイ・リージョナル・キュイジーヌ発祥の地です。
ハワイは世界で最も新しい地層にあり、アメリカで最も新しい州。そして何より、暖かいハワイの気候のように、ハワイの人々には暖かい心「アロハ・スピリット」が宿っています。

ハワイ島マウナケア山 ハワイ島

写真左;マウナケア山・雲より高い
写真右;ヒロ国際空港へ行く途中、この付近は多雨地域で植物が生い茂っています

ハワイ島 ハワイ島で利用したMAIKA'I OHANA TOURSの車
社長兼ガイドはMr. Andy Itoさんで大学時代日本に留学した経験があり日本語は達者で説明は上手。
是非ご利用を。損はしない。
TOUR@MAIMAIOHANA.COM
(ヒロ国際空港駐車場で)

ハワイ島 ハワイ島

マウナ・ロア山(Mayna Loa)の遠景、標高4,169m、活火山、楯状火山、
地球で最も体積の大きな山で体積は約75,000Km³もあり、富士山の1,400Km³と比べるとその大きさに驚きます。
標高1,247mのキラウエア付近から見ても高さの実感が全く分からないくらい裾野は広い。
写真上左;カメハメハ大王の銅像(下)の横から撮影、写真上右;ヒロ湾のリゾートの浜辺から

ハワイ島カメハメハ大王像 ハワイ島 写真左;ハワイ島はハワイ王朝を統一したカメハメハ大王の出身地。ホノルルのイオラニ宮殿前にあるのと同様の銅像が、同島東岸の都市ヒロと、同島北端のハヴィ(カメハメハ大王の出生地)に各1体ずつあります。写真はヒロのカメハメハ大王銅像。
写真右;Hilo Bayの海水浴場、ワイキキとは全く違い自然と戯れることが出来る。サーフィンは別の場所。

ハワイ島ヒロの市場 ハワイ島ヒロの市場

写真左;ヒロ中心街の市場の果物屋・品数豊富、写真右;市場の花屋・熱帯地方独特の花ばかり

ハワイ島 ハワイ島 ハワイ島 ハワイ島

「CAFE100]は、沖縄出身のリチャード・ミヤシロ氏が1946年創業した今年70周年を迎えるヒロの老舗ドライブインです。
ロコモコ「LOCO MOCO]発祥の店として広く知られ、地元の人と観光客でいつも賑わっています。
昼食は目玉焼きが2個のLOCO MOCOでした。
看板メニューのロコモコは、レギュラーサイズで$3.50、SUPER LOCOは$6.95 。
御飯の上にハンバーグと卵をのせて、グレービーソースをたっぷりとかけたもので、ボリューム満点です。定番は目玉焼き(sunny)ですが、スクランブルもグレービーとよく合います。
ハワイ島を訪問したら、話しのネタに、ロコモコをどうぞ! ロコモコ以外にもビーフシチューなどメニューは多くワイキキより相当安い。
CAFE100のLOCO MOCOは、もはや伝説となりつつあるとのこと(ガイドのMr.ITOの話し)。
ちなみに、「100」とは、第二次世界大戦時の日系人部隊「第100歩兵大隊」にちなんでいます。
オーナーのMr.Miyashiroは、第100歩兵部隊として従軍し、故郷のヒロに帰ってきてからこの店をオープンしました。(写真の人)

ハワイ島マウナケア山 ハワイ島 ハワイ島


ハワイ島には多くの日本人が移民しサトウキビで頑張ったことで有名です。1868年153人を皮切りに約22万人移民。現在のハワイ島の存在は日本人の頑張りによる。
ハワイ島のスーパーマーケットでリーズナブルな値段と商品で有名なものは日系のスーパーで「KTA Suterstore」。
この店は、1916年、日系の谷口幸一・タニヨ御夫婦が創業されたもので、ハワイ島内に5店舗展開しています。
ヒロに住む多くの日系人や日本人の御用達です。お土産は、是非ここでどうぞ。
オバマ大統領はハワイ島特産のコーヒーを毎日飲んでいるそうで、写真の金色の物です。
当然私と妻のお土産に買いました。美味しかったです。

ハワイ島 ハワイ島 ハワイ島 ハワイ島

写真上左;ヒロのチョコレートの製造販売の会社。「CANDIES BIG ISLAND」
写真上右:ハワイ州の車のナンバープレートは虹マーク。
写真左;「CANDIES BIG ISLAND」に飾ってある武蔵丸、曙、小錦の手形。三人ともオアフ島出身。
写真右;きんさん、ぎんさんと曙の手形。

ハワイ島 ハワイ火山国立公園の入り口。
ハワイ島は、最大寸法で、差し渡しが150 km、10,432.5 km²の陸地面積を持ち、四国の半分、或いは岐阜県と同じくらいの大きさです。
ハワイ島は、ホットスポット上にあることから活発な火山活動が起きてきました。
島は5つの楯状火山で構成されていて、互いに噴火期間が重なり合いながら、順番に噴火しました。
5つの火山は、活動順に、コハラ(死火山)、マウナ・ケア(休火山)、フアラーライ(休火山)、マウナ・ロア(活火山)、キラウエア(活火山)です。
これらの内、マウナ・ロアの一部とキラウエアがハワイ火山国立公園に含まれます。
海洋底の基部から測った高さでは、マウナ・ケアが10,203 mで世界で最も高い山です。
マウナケア山頂付近は、天候が安定し、空気が澄んでいることもあり、世界各国の研究機関が天文台を設置しており、日本の国立天文台が設置したすばる望遠鏡もここにあります。また、山頂では常夏の島でありながら冬場には積雪も見られます。
私の希望は一泊しマウナ・ケアに登りたかったのですが、時間的都合で日帰りになったのは残念です。

ハワイ島 ハワイ島

まず最初に行ったところは、蒸気の噴出する場所。
多くの場所がありますが、観光客が安全に楽しめるような場所が整備されています。 ハワイ島 ハワイ島

キラウエア火山の火口の遠景(上2枚15:45撮影)、標高:1,247m
キラウエア(kilauea)とは、ハワイ語で、「吹き出す」又は「多く撒き散らす」という意味。
火山活動の中心は、ハワイ島南東沖にあるロイヒ海底火山に移りつつあるとのこと。
理解できます?これは、ハワイ島が日本の方向へ向かって移動しており、その内新しい島が出来るということです。
キラウエア火山は、20世紀中に、45回の噴火が記録されています。

ハワイ島

近景(左18:54撮影)。
火口の赤い状態を見ようとぎりぎりまで粘りましたが、飛行機の出発時刻が迫り、若干赤味がかり始めた状態で終了。キラウエア火山ハレマウマウ火口。

ハワイ島 ハワイ島

写真左;真ん中は筆者、左右は娘夫婦、写真右;溶岩の噴出量の膨大さに圧倒されます。

ハワイ島 ハワイ島

溶岩の種類によりますが、水飴のように流れた状態が想像できます。
岩石は玄武岩質で大抵は爆発的な噴火ではなく、溶岩が流出するタイプで世界一安全な火山とも言われています。
阿蘇山や桜島、雲仙或いは御嶽山とは全然違います。
(全て行きました。特に阿蘇山は高校時代の伝統の遠足の地だったので10回以上遊びに行った。)

ハワイ島 ハワイ島

溶岩の種類により、固まり方が異なり、こちらは手で握りつぶすとボロボロになります。

ハワイ島 ハワイ島

1986年から1991年にはチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが海岸沿いに州道30号線へ続いていたのが溶岩で切断されました。
現在でも海へ向かって流出しています。
写真左は溶岩で道路が埋まった状態。溶岩の上に植物が育ち始めている。
写真右の人物は筆者

ハワイ島 キラウエア火山東南部の標高900m付近からの海岸の眺望。
この場所の西手の方(右側)は陸が拡大しています。
壮大で美しく、植物はゼロに近い。当然人工物は無し。
写真の人物は筆者。

ハワイ島 ハワイ島

写真左;マウナ・ロア(活火山)の大きさと他の山(灰色がMount Fuji)との比較。大きさが良く分かる。
写真右;ハワイ諸島の成り立ちが良く分かる。地球は動いている。ヴェゲナーの大陸移動説が理解できるよ。Hot Spotも理解できるでしょう。

ハワイ島 ハワイ島

ハワイにポリネシア人が始めて移住したのはハワイ島と言われています。
従って一番人口が多く活火山のキラウエアが有ること等で多くの伝説が生まれたようです。
その中で、火山の女神ペレ(Pele)に関するものが最も有名です。
ペレは、炎、稲妻、ダンス、暴力などを司るとされ、美しく情熱的ですが気の荒い女性で、嫉妬や怒りから人々を焼き尽くすとして畏怖の対象とされています。

ハワイ島 ハワイ島 ハワイ島 ハワイ島

キラウエア火山の周辺の様子。頻繁に溶岩の噴出が起こり、溶岩の土地のため土に栄養分が少なく、降雨量も多くなく、標高1300m付近で風も強いため植物は背が低く種類も少ない。
ハワイ島は、風向や地形の関係で、東部は降雨地帯の熱帯雨林気候(Rain Forestが有り、熱帯植物が繁茂している)、北部は砂漠地帯、西部は乾燥地帯で高級種のコナコーヒーが有名、山岳は冬には雪が降り雨が極端に少なく空気が澄んでいて天体観測に最適など特徴が多い島です。
ヒロは、ハワイ第二の港湾都市、アメリカ合衆国で3番目の多雨地帯、リゾート地で、津波被害も多く受け、太平洋津波博物館があり津波研究が行われています。
南西の町キャプテン・クックには、キャプテン・クックことジェームズ・クックがハワイの原住民に殺害された場所です。
ハワイ島は、ハワイ弧状列島の最南端で、アメリカ合衆国最南端の地点があります。

ハワイ島 ハワイ島

多雨地帯のRain Forestの羊歯Cibotium glaucum

ハワイ島 ハワイ島

写真左;Rain Forestの溶岩洞窟、写真右;常夏の樹木には年輪が無い
(2016/06/20訪問)




オアフ島パールハーバー

パールハーバーについてはさらっと書きます。
アメリカ人には人気の場所のように思います。人は多い。
日本(らしき)人は少なく感じました。
国防はいずれの国においても最重要事項ですが、ここはアメリカ的軍人の天下を感じる場所でした。 オアフ島 オアフ島

入り口付近の案内看板と正門ゲート

オアフ島 オアフ島 オアフ島 オアフ島

入場料に周遊観光船の料金が含まれていたので左写真の白い遊覧船に乗って観光してきました。

オアフ島 オアフ島

日本軍初の特攻兵器、人間魚雷「回天」です。
将来のある若者が国の命令ではありますが、死を覚悟して乗り込んだことがひしひしと感じます。



オアフ島ポリネシア・カルチャー・センター

太平洋に浮かぶハワイ(ミッドウエー諸島)、ニュージーランド、イースター島に囲まれた三角形の海域の諸島の総称をポリネシア(Polynesia)と呼びます。
このポリネシアには、6つの主権国家(アメリカ、ニュージーランド、キリバス、サモア、ツバル、トンガ)があります。
この中に、ニュージーランドの自由連合国、フランス領、アメリカ合衆国領、イギリス領、ニュージーランド領、チリ領(イースター島)があります。
他に、近辺海域にはメラネシア、ミクロネシアがあります。
ホノルルからセンターまでは、約2時間程度の距離で終日遊んで帰ってくるのは11時頃でしょうか。
料金は、12歳以上税込み$205.95〜66.90/人の範囲でパッケージメニューが色々あります。送迎バスは別料金$20.6/人
ホノルルのホテルなどで予約してください。
ポリネシア・カルチャー・センターの詳細はここ

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楽しく遊べました。ハワイ旅行記−Tも見てネ。

オアフ島 オアフ島

Hawai‘i旅行記おわり。
(ハワイには、他にも色々面白い島があります。)




シンガポールシンガポール


予期せぬことは起こるもので、諸般の事情で、今年2016年9月、46年ぶりにシンガポール・マレーシアへ6日間の旅をすることとなりました。今年2度目の海外旅行。
26才の時、シンガポール・マレーシア・タイ・香港・マカオへ正月休みを利用し、2週間一人旅をして以来です。
昭和40年代は、海外に行く人は、仕事や留学、或いは特別な人のみ。
半世紀ぶりのハブ空港のチャンギを始め、シンガポールの発展・変化は目覚しく、想像通り素晴らしいものでした。
昔の面影は何処にも無く、46年前の記憶を完全に消し去るのに若干の時間がかかりました。
今回は我々夫婦と身内の親子2名の4人で、男は私だけ。
観光するところなどは全て貴方任せの気楽な旅でした。
シンガポールとマレーシアに分けた写真が中心の記録となりますが、時間つぶしに見てください。
シンガポールは、Singapore ZooとGardens By the Bayが主です。

シンガポール シンガポール

シンガポール

日本とシンガポールとの時差は、「−1」時間です。
飛行時間は、直行便で関空から約6時間。
食後出てきたアイスクリームは、フォークが立たないほど良く冷えていたので写真に撮った。

シンガポール シンガポール シンガポール シンガポール

チャンギ空港の素晴らしさに日本は負けている。日本のセンスの悪さがヒシヒシと感じます。

シンガポール シンガポール

3泊したGoodwood Park Hotelは、ドイツライン川沿いの城を真似てデザインされ、在住のドイツ人達の社交クラブ「チュートニア・クラブ」として1900年に建設されました。
今時珍しく2階建てで床の一部は木です。落ち着いた5つ星のホテル。
1941年にシンガポールが侵攻された際、グッドウッド・パーク・ホテルは3年間の占領期間中、日本軍の宿泊施設として利用されました。
グッドウッド・パーク・ホテルは、シンガポールで初めてスイミングプールを導入したホテルとしても知られています。

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ホテルの中庭に咲いていた花々。

シンガポール シンガポール

シンガポール

着いた日の夕食。シンガポールの人気料理チキンライス(上左)・海鮮ホッケンミー(チリサンバル付き)(上右)とインドネシアの人気料理の鳥のから揚げ(左下)。
私はインドネシア料理を頼みましたが、私の胃にはやや重く、ホッケンミー料理の方が良かったようです。
当然他も味見。

シンガポール 翌朝のささやかな朝食。スターバックスで。
皆、体に気を使ったりして。
自己コントーロール合格?野菜が無いね!


シンガポール シンガポール

ホテル近くの街の朝の状況(高島屋の前のメイン道路)。

シンガポール シンガポール

世界的に有名な美しい動物園Singapore Zooの入り口の花のアーチと切符売り場。
日本の動物園では殆んど見ない動物が多く、約270種・300頭を超える動物達が生きいきと走り回っています。
動物園の特徴は、植え込みや水路などを上手く利用し、檻や柵が無い状態で動物を見せる工夫です。
自然な形で間近で見ることが出来、写真撮影が楽しめます。その写真の一部を紹介します。

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人も動物達も楽しめるように熱帯植物を上手に配置しています。花の一部を紹介します。

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地下鉄の券売機と自動改札機。デザイン性が良いですね。
シンガポールの公用語は、マレー語(国語)、英語、中国語(北京語)、タミル語の4つです。
地下鉄などでは、英語、中国語(北京語)、タミル語の3言語で書かれていました。

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Gardens By the Bayを紹介します。
Gardens By the Bayは、最新の観光スポットです。
園内には、多くの施設が有り、有料と無料があり、下記の有料表記以外は全て無料です。
・「Supertree Grove」:18本の高さ25〜50mもある巨大人工ツリー、夜には、ライトアップショーもみることができます。
・フラワードーム「Flower Dome」:世界各地の植物が展示されているガラスのドーム(今回観光目的の一つ、有料)
・クラウド・フォレスト「Cloud Forest」:雲霧林をテーマにした館内に滝があるユニークな植物園(今回の目的の一つ、有料)
・ワールド・オブ・プランツ「World of Plants」:動物型に刈られた植物が面白い6つからなる庭園
・ヘリテージ・ガーデンズ「Heritage Gardens」:シンガポールの歴史と文化のルーツを表現した庭園
・ドラゴンフライ・レイク「Dragonfly & Kingfisher Lakes」:トンボのオブジェが浮かぶ人口の湖
・チルドレンズ・ガーデン「Far East Organization Children's Garden」:遊べる施設がある子供用ガーデン
他にもゴールデン・ガーデン(Golden Garden)、シルバー・ガーデン(Silver Garden)、大小様々なテーマの庭園や施設がたくさんあります。
園内は「ベイ・サウス」、「イースト・ベイ」、「ベイ・セントラル」という3つのエリアで構成されています。
では、クラウド・フォレストとフラワードームの一部を紹介しましょう。

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ここから下はフラワードームの植物。

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アラブ地区の香水店と女性の服装店。
香水の種類は、男女合わせて数百種類を揃えていて、試香をしましたが不調法でとんと分かりませんでした。
女性陣は自分のや、お土産に色々買いました。私も勧められましたが丁重にお断り。
シンガポールではヘジャブかマヒール程度が殆んどで、チャドルやブルカは非常に少ないです。
おしなべて、イスラム教の女性は、お洒落です。
写真を撮りたかったけど、宗教上のトラブルで問題が発生したらいけないので、店頭だけにしました。

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シンガポールのタクシーは広告で満艦飾です。
日本は地味で、若干見習った方が良いかも。最近は増えてきましたが。

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シンガポール シンガポール

シンガポール チャンギ空港の書店で。
中国の権力を傘に来た私欲の蓄積、権力闘争、習近平王朝の傲慢さなどを話題にした本が山積でした。
中国では発禁処分と逮捕間違いなしの本。面白そう。

ドナルド・トランプのアメリカ大統領当選で先行きは判然としませんが、さぞや習近平は組し易い相手と喜んでいるだろう。
習近平の騙しや恫喝に毅然とした態度で臨め!!
しっかり頼むよ!!

最後に一言。
シンガポールでは環境美化、公衆道徳のレベルが高く、日本でも見習う必要がある点がありました。
46年前でも「痰を道に吐く」ことや「タバコのポイ捨て」は、罰金で、当時1万円くらいでした。現在300シンガポールドル。
シンガポールでは、「ガム」による悪ふざけがなかなか止まず、安全施設のボタンが作動できないなどの不都合が出てきました。
個人の常識を期待しましたが効果が上がらず、結局、1992年、法律で所持の禁止、輸入の禁止が定められることとなりました。
法を破った場合は、通常、シンガポールドルで1万ドル(日本円で80万円)の罰金です。
ガムを密輸すると、最長1年間の禁固刑と約2万1000シンガポールドル(日本円で約170万円)の罰金が科されます。
ただし2004年に一部法改正が行われ、医療目的で使用されるのであれば、販売が許可されるようになりました。しかし、あくまで医療のためだけなので、薬局でしか手に入りません。
シンガポールでは、特に宗教や人種問題、ドラッグの密輸や所持など、公衆を乱すような行為に関する法律が厳しいと言われています。
以上のことをよく理解しシンガポールの旅を楽しんで下さい。


マレーシアマレーシア


マレーシアへは、シンガポールへ始めて行った時の、次の訪問国でした。
その時は、ジョホールへ日帰りで行き、その後、飛行機で移動しクアラルンプールで2泊、ペナン島で2泊したことがあります。
当時の、シンガポールとマレーシアの出入国は今とは比べられないくらい混雑せず厳しくありませんでした。おおらかな感じでした。
しかし、麻薬などについては、当時から当然厳しかったです。
今回の旅は、ジョホールバルへ2泊しマラッカへ行くのが主な目的でした。
マラッカは英語読みのMalaccaで、マレーシア語ではムラカ(Melaka)と言います。
マラッカは、ジョージタウンとともに、2008年、歴史的な街並みがユネスコの世界文化遺産に登録されました。
マレーシアで歴史的都市として世界文化遺産に登録されているのは、ここと「レンゴン渓谷の考古遺産」で、自然遺産として「キナバル自然公園」「グヌン・ムル国立公園」があります。

今回観光した、
・オランダ広場(Dutch Square)
・セント・ポール教会(St.Paul's Church):ポルトガル人によって建てられた教会跡があり、日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエルの像も建っている
・サンチャゴ砦 (Porta de Santiago) :1511年にオランダとの戦いに備えてポルトガル軍によって造られた砦
・マラッカ・スルタン・パレス(マレー語:Istana Kesultanan Melaka, 英語:Malacca Sultanate Palace):スルターンの王宮を復元した木造建築。内部はマラッカ文化博物館 (Cultural Museum of Malacca) になっている。
・ジョンカー通り(マレー語:Jalan Hang Jebat, 英語:Jonker Street):昔の下町の町並み
などについて書きましょう。

マレーシアについて若干。
マレーシア(Malaysia)は連邦立憲君主制国家です。イギリス連邦に加盟しています。漢字による当て字では馬来西亜と表記します。
国家元首たる国王は13州の内9州にいるスルターン(首長)による互選で選出され(実質的には輪番制)任期は5年。世界でも珍しい、世襲ではなく選挙で選ばれ、かつ終身制ではない国王です。
各州の公共施設や公共的施設などには必ずスルターン夫妻と皇太子の写真が飾ってあります。
従って、マレーシアには、国旗1と国旗を基調とした国旗に似た似た13の州旗があり、必ず2つが掲揚されています。
人口分布は、マレー系6割、華人系3割、インド系1割の構成です。
公用語はマレーシア語と英語(1967年まで、現在は準公用語)です。
インド系はタミル語が母語です。
華人系の中には英語のみを母語とする家系が存在します。
英語話者の華人系住民は、英国統治下の時代に「英国人」として海峡植民地(ペナン、マラッカ、シンガポール)において支配階層(英籍海峡華人公会)を形成していた華僑の末裔で、出稼ぎ労働者として移り住んだグループ(トトックと呼ばれる)と区別してプラナカン(海峡/英語派華人)と呼ばれます。
ちなみに、シンガポールの初代首相リー・クアンユーは、プラナカンの代表的な人物です。
国教はイスラム教です。中国系は仏教、インド系はヒンドゥー教徒が多いです。
東アジアの非イスラム教国に住むムスリム(イスラム教徒)は、一般にマレーシアの見解に従うことが多いとのこと。
無宗教者の多い日本人は、この当りの事を若干勉強してマレーシアへ行く方が良いように思います。
若干長くなりました。

マレーシア マレーシア

マレーシア この写真なんと思います?
シンガポールからマレーシアへ帰る自動車とバイクの混雑状況です。

我々が移動した9月9日はマレーシアの3連休(宗教行事)の前日だったため、特に出稼ぎの人の波が凄かったです。
最近は、マレーシアからの労働者の交通が多く終日混雑しているとのこと。
バスも徒歩も多い。
車でマレーシアに入国する時は、時間を4時間見てください。
途中トイレは無いのでホテル出発時には必ずトイレに行き(大小共)、水分は控え目に。

マレーシア マレーシア

マレーシアに入国後、最初に食べた果物。
ランブータンRambuttan
外見は毛むくじゃらのフルーツ。味はライチに似ています。

マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア

マレーシア最初の夕食は、地元の人が行く中華料理屋さん。普通の日本人の旅行者は行かない店。
食べたい食材(海の幸)を選んで料理してもらいます。
名前を失念しましたが、この巨大エビ(シャコではない)。
大変おいしゅうございました。

マレーシア ジョホール州のスルターン夫妻と皇太子の写真。
ジョホール州の州都はジョホールバル(Johor Bahru)で首都クアラルンプールに次ぐ第2の都市。
人口約50万人。
泊まったGrand BlueWave Hotelのロビーで。

マレーシア 常識ですが、東南アジアでは、ペットボトル以外の水は生で絶対飲んではいけません。
我々過保護で育った日本人は、生ものは厳禁と思ってください。
現在、ジカ熱がシンガポール、マレーシアでも流行っています。
ジカ熱だけでなく蚊による伝染病がマラリア始め多くありますので、蚊対策は十分万全を。
現地の人も恐れてました。

マレーシア マレーシア

マレーシア マラッカに行く途中のハイウエーのサービスエリア。
建物のデザインは良いです。
流石、国教がイスラム教だけあってサービスエリアは勿論、主要なところには礼拝する場所(Sureu(マレーシア語)、prayer room)が必ずあります。


では、マラッカの観光に出かけましょう。

最初にマラッカをイメージする観光スポットといわれるオランダ広場(Red Square 、Dutch Square)です。
川に面した広場には、噴水を囲むようにムラカキリスト教会、旧オランダ総督邸(1650年頃建築)で現在歴史博物館になっているスタダイス(写真の右側の細長い建物)などのレンガ色の建物があります。
赤いレンガ造りのムラカキリスト教会は、1753年に建てられたオランダ建築様式のプロテスタント教会です。
ここを起点に多くの観光スポットに行けます。
極めて多数の内外の観光客がいます。
スペインやイタリア、アメリカなどのような危険は直接的には感じませんが、持物には気を付けましょう。

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下はセント・ポール教会(St. Paul's Church )跡です。
この教会は、カトリック教徒であるポルトガルによって1521年建築された教会で、現在は遺跡化しています。
フランシスコ・ザビエル(来日前はマラッカで布教活動をしていた)の遺骨が一時安置されていたといわれています。
このセント・ポールの丘からは、マラッカと海峡を見渡すことができます。
建築後、ヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れ、ポルトガルの後にマラッカを支配したオランダ、イギリスはプロテスタント派だったため、この教会は忘れ去られ荒廃されるままになりました。
歴史の流れが肌で分かります。

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次は、セント・ポールの丘から見たマラッカと海峡、及び街並みの雰囲気。
国旗と州旗はいたる所に掲揚されていて、当然と思います。
外国を旅行し国旗を掲揚していない、或いは極端に少ない国は日本のみ。
アメリカでは小学校の全ての教室に掲揚されていました。
戦後教育の悪さが何時まで続くのか。日教組のせいだけではない。将来が思いやられる。 マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア マレーシア

下は、スルタンパレス(Malacca Sultanate Palace)。
スルタンパレスは、15世紀中頃のスルタンの王宮(マラッカ王朝)建築様式を復元した建物です。
内部は博物館となっており、マラッカの歴史と文化を学ぶことができます。
高床式の宮殿で、長さは74m。
1409年に名君パラメスワラが明の提督鄭和を迎える歴史的瞬間が1階の広間に人形によって再現されています。
その他、民族衣装、各州の紋章、武器、結婚式・衣装(貴族・平民など)など興味深い展示が多くあります。
通常マレー語は、ラテン文字26文字で表記されます。
ただしこれはイギリス植民地時代からの伝統であり、それ以前はアラビア文字を元に作られたジャウィ文字が使われていました。
今でも、ジャウィ語でジャウィ文字が専用されるほか、マレーシア国内のイスラム教徒からもジャウィ文字の存続を求める声があり、学校教育の場ではその学習が続けられているとのこと。(下の写真参照)

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下は、サンチャゴ砦 (Porta de Santiago)の遺跡や模型、説明書、市街地の中にある建国時のスルタンの就任や伝記の版画、観光用有料自転車などです。
ジョンカー通りは、観光客で人人人の波。日本人観光客も大分見かけました。

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下の写真は、ジョンカー通りです。地元の人と観光客で人人人と車の波。
日本人観光客も大分見かけました。
マラッカ旧市街(チャイナタウン)のジャラン・ハン・ジェバット(Jalan Hang Jebat)は、昔から地元の人たちからジョンカーストリートという愛称で呼ばれています。
マラッカ市民にとっては北部エリアから市内中心部に進入するために避けて通れない東向き一方通行道路で、年中交通渋滞が発生しています。
地元住民は、この混雑を諦めとともに、繁栄の印と思っているとのこと。
カフェや飲食店、屋台、ブティック、Tシャツ店、お土産屋などがギッシリ軒を連ねています。
毎週末金・土・日の午後6時から深夜0時まで一般車両を通行止めにして歩行者天国となります。 マレーシア マレーシア マレーシア

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ジョホールバル(JOHOR BAHRU)のイスラム教モスク・MASJID SULTAN ISKANDARです。
2012年に建設開始し2015年に完成しました。
2016年4月8日からオープンされた真新しいモスクです。
美しい。敷地は広大です。
イスカンダルとは、古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王を指すアラビア語・ペルシア語の人名。
アラブでは、「ズルカルナイン」Dhú al-Qarnayn (二つの角をもった王:双角王)という名の英雄の伝説に語られ、コーランにも神から強大な力を与えられて世界を征服した王として登場します。

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ジョホールバルには2軒イオンがあり、新しいほうの様子です。
イオンは日本だけでなく東南アジアでも拡大していました。
日本人の経営する店は、特に食品関係は信用度が高いように感じました。
品数は豊富です。
在留日本人も食の安全面から顧客層になってました。
デザインは、最近のイオンと同じようです。
映画館もお客さんが多く、娯楽の種類が少ないので人気が有るようです。

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我々が宿泊したホテルで催された、インド人の結婚披露宴。
夜8時から始まりましたが、何処でも結婚式は賑やかですね。
インド人の祝い用の礼服は男女共豪華。

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マレーシア最後の晩餐の中華料理。
火の入ったものをどうしても食べますね。
今回2度目のココナッツ。
本当はドリアンを食べたかったけど機会無し。
イオンでも売ってましたが、商品として不可でした。

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ホテル周辺の花と椰子の実。
左写真は、ホテルに隣接した看護大学
SURIA COLLEGE of HOSPITALITY.

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シンガポールへ向かって一直線。
しかし、国境を無事通過するのに交通渋滞で約2時間かかりました。
右の緑色の屋根があるところは、出入国管理事務所。
シンガポール入国検査で、私のトランクを選んで開けさせられました。OK
チャンギ空港でも出国の検査がありましたが、入国時より軽い感じ。
無事、シンガポール・マレーシア観光旅行おわり。


以上、色々書いてきましたが、やはり百聞は一見にしかず。機会があれば、積極的にチャレンジしましょう。
冒頭述べましたように、遠路の旅は体力に左右されます。日頃、ウオーキングなどで鍛えておきましょう。
最後までおつき合いいただき有難うございました。
Have a nice day!

2014年7月6日初稿、2015年4月10日追加修正、2015年8月12日、2016年11月07日、10日、12日加筆更新

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