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2006年大阪造幣局・御衣黄4/18 | 2008年大阪城南外堀六番櫓4/3 | 2009年大阪市桜ノ宮公園・大川左岸4/6 |
2010年奈良県生駒郡我が町の桜4/4 | 2011年大阪城西の丸公園より4/7 | 2012年大阪市大川右岸の桜並木4/10 |
2013年大阪城シダレサクラ4/1 | 2014年生駒山中腹4/7 | 2015年生駒郡団地道路沿い4/3 |
2016年最初のサクラ 生駒山中腹で2/22 |
科・属名:バラ科モモ亜科スモモ属サクラ亜属
学名:Prunus, Cerasus
別名・和名など:サクラ(桜)
原産地:ヒマラヤ近郊と考えられている
高さなど:10-15m
花の色:ピンク、薄赤、白など
植物のタイプ:落葉広葉樹
開花期:1月末(沖縄)-5月上旬(カスミザクラ)(種類、緯度による)
特徴など:サクラ(桜)については、古今東西で多数の文献、歴史的書物などが有り、ここで書くのは気が引けますが、恥を忍んで若干纏めることとします。
撮影日:多年多数(整理中)
私の生まれ故郷の熊本県水俣市には、水俣川が流れていて、その堤には桜が延々と植えられています。
水俣川の支流に湯の鶴川がありますが、その堤にも湯の鶴温泉(水俣市街地から約8km山間へ入った湯治場。700年前平家の落人が、傷ついた鶴が湯あみするのを見て湯の存在を知り、「湯の鶴温泉」と名付けられたとされています。泉質は単純硫黄泉。是非どうぞ。海岸には、「湯の子温泉」があります。)まで一里桜が植えられていて、サクラの咲く季節には、握り飯の弁当を持って毎年湯の鶴温泉まで花見をしたものです。
また、父がチッソ梶i明治39年(1906)曽木電気叶ン立、明治41年日本窒素肥料梶A昭和25年新日本窒素肥料鰍ノ改称)に勤めていたので、社宅に住んでいましたが、社宅には樹齢40年以上のサクラが全面に植栽されていて、見事なサクラが毎年咲いていました。
近所には、一時期ですが現皇太子妃の祖父一家が住んでおられました。
さて、日本では数百万年前から自生していると言われていますが、桜の品種はどのくらいあるでしょう。
サクラは突然変異の多い植物として知られています。
一代限りの突然変異も稀ではありません。
従って、品種改良が頻繁に行われ、単に変化させるだけでなく、代を重ねることや接木によって突然変異の固定化なども行われてきました。
日本では、主に花を変化させるための努力が払われ、西欧では実をより有用な食品にするための品種改良が行われてきました。
このようなわけで、日本では固有種・交配種を含め600種以上の品種が確認されています。
サクラ亜属で日本に自生するものは5-7種類ほどが確認されていて、これらの変種や交雑種等から数十種類の自生種が存在するようです。
園芸品種の品種改良は、やはり見栄えを重視することから、花弁の数や色、花の付け方などに主眼を起きます。
その結果、多くの園芸品種が生まれました。
ソメイヨシノ(染井吉野、学名: Cerasus × yedoensis (Matsum.) A.V.Vassil. ‘Somei-yoshino’)は品種改良の代表的種で、江戸時代末期から明治初期に、江戸の染井村の造園師や植木職人たちによって、日本原産種のエドヒガン系のサクラとオオシマザクラの勾配で生まれたものです。
サクラの開花を定める特定の株は、ソメイヨシノです(沖縄、北海道除く)。
花弁は5枚で葉が出る前に花が開き満開となります。
花色は、蕾の時は萼等も含めて濃い赤に見えますが、咲き始めは淡紅色、満開になると白色に近づきます。
樹高は、10-15mあります。
尚、サクラの場合、花弁が5枚までのものを一重、5枚から10枚までのものを半八重、10枚以上のものを八重と言います。
多いものは百数十枚あるとか。
サクランボは好きですが、それよりも桜餅が大好きです。
葉や花の塩漬けも日本人好みの重要な食品です。
当然、サクラは国花(法定ではない、しかし硬貨・切手の意匠に用いられている)ですから、花の代名詞にもなり、色々な文化の源の一つとなり、また花見酒など色々な風流なことが行われてきました。
万葉集ではサクラよりウメほうが多く詠まれていますが、古今和歌集などの時代になるとサクラが多く詠まれ、豊臣秀吉の時代の慶長3年の醍醐の花見は有名ですし、葛飾北斎の絵などあるところです。
筝曲、地歌、長唄、滝廉太郎の歌曲「花」や義経千本桜、遠山金四郎の桜吹雪もいいな。
新規作成日:2016/02/24
最終更新日:2016/10/20
関西の毎日サンデーの男より(2016/02執筆開始)